私の将棋史⑧(社会人6年目から現在)

私の将棋史

前のブログでは、首都圏から地元仙台にUターンすることになったところまでを書きました。
今回はその続編です。

■五段くらい(社会人6年目以降から現在)
2014年の10月に、地元仙台にUターンしてきました。

仙台に戻ってからは、庄司さんや大学の将棋部の後輩である工藤元さんと交流させて頂くようになりました。
久しぶりの仙台で、人間関係も少なかったので、自分にとってはとてもありがたかったです。

私が加部道場に通っていた高校生当時、小学生だった子が大学生になっていたり、年月を感じましたが、こうやって世代を超えて交流できるのは将棋のとても良いところだなと感じます。

将棋については首都圏で毎週指していたのと比べると圧倒的に実戦の機会が減ったので、特に終盤戦については棋力の衰えを感じたりもします。

一方で、首都圏で指していた経験は大きく、庄司さんに言われたのもありますが、序盤・中盤の大局観については全国のトップアマと比べても引けを取らない位の自信を持てるようになりました。

庄司さんが子供に将棋を教えていたのを手伝うなどの機会も出てきました。
そうした中で、自分としては徐々に心境の変化があります。

・首都圏のように、毎週将棋を指せる場所が欲しい
・これまでの自分の経験を活かして、将棋の技術・魅力を伝えていきたい
・将棋仲間が繋がれるような場所が欲しい
こういったことを思うようになります。

当初は、市民センターの会議室を借りて、将棋道場的なことを試験的に行ったりもしました。
しかし、盤駒の運搬などの手続き面も含めて、煩雑な部分も多かったので長続きしません。

色々と考えていく中で、
・知人が若くして亡くなったこと
・勤務先で副業が解禁になったこと
などをきっかけに、やりたいことを先延ばししても仕方ないと思い、2021年に思い切って将棋道場をオープンすることを決めました。

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最後の方はかなり省略をしてしまいましたが、ここまでで、自分の将棋史については一旦終わりたいと思います。

雑多な文章ではありましたが、最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

道場に来ていただく中で、色々な方に「なぜ将棋道場を始めたのか」聞かれるのですが、なかなか一言で伝えるのが難しいため、ブログで少しでも自分のこれまで~現在を知ってもらえると良いかなと思い、文章にしました。

今後もブログは色々と書いていきたいと思いますので、よろしければ引き続きお読み頂ければと思います。

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