こんばんは。
今後のブログ記事は色々と書いていきたいと思いますが、まずは私の将棋史について書きたいと思います。(回想も交えながらなので、読み物としてお付き合いください。)
■将棋を覚えて、4級くらいまで(小学生~中学2年)
私は小学生の頃に父に教わり、将棋を覚えました。
ただ、これといった勉強をしたことはなく、あくまで実戦オンリーでした。
小学校は将棋クラブがあり所属していましたが、将棋の定跡も全く知らず、とりあえず無敵囲い(58飛、48銀、68銀とするだけ)をやってみるところから始まり、小学校で強かった子が矢倉をやっていたので、囲いだけ真似するくらいでした。
中学に入り、将棋部があったので、所属しました。
将棋世界などの本はあったので、読んでみたことはありますが、興味はもてませんでした。
(読んでも分かりませんでした。)
ただ、将棋世界に載っている詰将棋は好きだったので、3手詰め~7手詰めまでをずっと解いていた記憶があります。
また、中学の先輩が自分よりも強かったのですが(たぶん2級くらい)、四間飛車をやっていたので、それをとりあえず真似して、四間飛車を始めました。
■4級~初段くらいまで(中学2年~高校1年)
詰将棋と実戦だけでしたが、中高一貫校で高校の先輩もいて、教えてもらったこともあり、なんとなく終盤の駒がぶつかってからはそれなりに戦えるようになっていました。
中学2年くらいで、森安先生の四間飛車の本を初めて読み、中学3年くらいで藤井先生の「四間飛車を指しこなす本」を読みました。
四間飛車を指しこなす本は何度も読み返して、勉強した記憶があります。
(四間飛車を指しこなす本は20年経った、今でも名著だと思います。)
■初段~二段くらいまで(高校1年生)
高校に入学し、初めて大会というものに出ることになりました。
たしか高校選手権の宮城県予選が5月にあり、その前の4月に先輩が通う道場に連れて行ってくれました。(当時、仙台駅前にあった杜の都加部道場です。)
加部道場に初めて行った時に、初段で申請したのですが、初めて加部先生に2枚落ち(飛車角落ちのハンデ)で負かされた衝撃は今でも覚えています。こんな強い人がいるんだと思うのと同時に、子供でも自分より強い子が何人もいて(小学生で三段など)、ここに通えば強くなれる気がすると思い、そこから毎週のように通うようになります。
初めて出場した5月の高校選手権はA級で予選通過して、本戦1回戦負け。
同い年の子がA級で優勝したのを横目に、自分ももっと強くなってやると思ったものでした。
(勝手にライバル視していました。)
ちなみにこの時に優勝したTくんは全国でベスト4に入り、その後同じ大学に入学することとなります。